中学生時代。いじめのキッカケは些細な事。 1年生の時初めて親友が出来たんだけれど、 その友達といるのが楽しくて何をするにも毎日一緒だった。 ある日、クラスの男子がそんな私たちを見て「レズ」と言い出して、 それから私と親友ヒロコの辛い日々が始まった…。 きっといじめのターゲットが欲しかっただけだと思う。 中学生ってそんなものだから。 まだ救いだったのは二人だったこと。 でも、2年からはクラスも違ったし、お互いにクラスでは陰険ないじめに遭った。 トイレに入ってたら上から水をかけられて、帰ろうと思ったら自転車はぐちゃぐちゃ。 給食の変わりにゴミが置いてあったり、それを見てニヤニヤ笑っているクラスメイト。 学年が上がるにつれていじめはどんどんエスカレートして、 頼りにしていた先生に相談したら、先生達は不良集団が怖くて見て見ぬフリ。 先輩にも言いがかりをつけられて叩かれたり、暴言吐かれたりした。 廊下を歩いていたら同級生の男女から「死ね」「汚い」「ブス」「気持ち悪い」と言われる事はしょ っ中。 「早く死ねよ!」って言われたこともあったかなぁ。 とにかく酷い言葉の数々で、どこにいても落ち着かなかった(笑) 3年生の時にはクラスのほとんどが嫌がらせで私を学級委員に推薦。 クラスの人と関わっていなかった私にそんな素質があるわけもなく、 どんどん票が入っていくのを見て怖くなった。 結局私に一番票が入り、あのまま行くと学級委員になるところだった。 私がいじめられていることは担任も知っていたので、 そこで強く「そういう事はするな!」と言ってくれ回避出来たんだけど…↓ こんないじめ方もあるのかと背筋が凍った。 ある日、授業に出るのも辛くなって二人でさぼっていたら、先生から平手打ちされたし。 誰も信用出来なかった。 「先生」と言う存在は大嫌いで、大人なんて頼りにしないと思った。 ヒロコと私の違ったところは家庭環境かな。 学校でいじめられても、ヒロコには安らぐ場所があった。 私もよくお邪魔していたんだけど、楽しい家族。 おもしろいおじさんと、優しいおばさん、可愛い弟たち。 私が行ってもいつも温かく迎えてくれたし、私も一緒に色んな所に連れて行ってくれたり、 こんな家族って羨ましいなぁと思ってた。 何より、言いたいことを言い合っていてそれが羨ましかった。 私は家に帰るといつも小言を言われたし、いじめられてる事なんて絶対に言いたくなかった。 言ったところで馬鹿にされるのは分かり切っていたし、 小学校の頃いじめられた時の事がいい例だった。 だんだん成績が下がっていく事ばかり注意されて、 私がいじめられている事、苦しんでいる事には気付いてくれなかった。 心の中では「それでも親なの!?」「私の何を見ているの?」 「私は人形じゃない!!」って思ってた。 父は私に「お前は俺の良い人形だ。」と笑いながら言っていたし。 それから、休みの日に遊びに行くと言ったら決まって嫌な顔をされて、 快く送り出してくれたことなんてなかった。 遊んでいても時間ばかり気になって、親の怒った顔がちらついて楽しくなかったし…。 父は私の友達にはうるさくて、 「頭の良い子じゃないと遊んだらいけない、馬鹿とは付き合うな。」といつも言ってた。 だから昔から家に友達なんて絶対つれて行けなかった。 …今もまだそうなんだけどね(笑) 友達に不愉快な思いはさせたくないし、私もハラハラしてしまうから。 家にいても、学校にいても常に落ち着かない状態がずっと続いた。 自律神経失調症の症状が出てきたのもこの頃。 修学旅行先で不良グループに絡まれて部屋に引き込まれ、 そこでいじめに遭った時、とてもショックで頭がぐるぐるしておかしくなった。 なぜ修学旅行に来てまでいじめられないといけないんだろう? 私たちは何もしていないのに、2人で話をしていただけで因縁を付けられた。 その後も心と体がバラバラになりそうな状態がずっと続いて、 頭がボーっとして所在感がなく、毎日気が狂いそうでたまらなかった。 →「高校生時代 」へ。 ジャンル別一覧
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